3738  19 西尾・明知の灌漑

<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>

 内津地区にほとんど田畑があちません。西尾地区には、ちょうど西尾小学校の北の辺りに大きな田が何枚かあり、そこから南の部分に土地が少し高くなっていて畑や果物畑になっています。 明知地区に西尾地区に比べ全体的に土地が高くなっており、多くは畑にされています。そして、西尾と明知の山間にそれぞれ田がつくられていることがわかります。これらの土地に利用している水はどこからひいているのでしようか。

愛知用水

明知地区から西尾地区の一部に、愛知用水の分線が引かれていて、水が利用できるようになっています。『春日井市史』によると、愛知用水は国の事業として世界銀行からお金を借り、昭和37年に通水が行われているとのことてす。愛知用水は木曽川から取水し、尾張丘陵から知多半島にかけての農業用水・工業用水・上水道の水を供給するためにつくられました。 この地域はそれまでため池によって水をまかなってきた地域でした。ただ、明知地区の農家は、権利を買っていても実際には水を使っていない所が多いそうです。

内津川

 西尾地区の大きな田に、内津川の取水口から取り入れた水を田の側溝に通して利用しています。取水口は、内津のすぐ下の竹林のわきにつくられています。田の位置が、内津川の水面よりも高いため、小さなせきをつくって水をせき止め、水位を上げることによって、側溝に水を流し込む方式をとっています。側溝は田のまわりに張り巡らされており、この豊かな水があってはじめて大きな田をうるおすことができているのです。

(ため池)

 西尾地区と明知地区の山間に、細長く奥に田がっくられているのがわかります。それらの田を奥に辿っていくと、山からの水をせき止めてためた、小さなダムのような池がつくられているのがわかります。田には、そこから側溝を引いて水を利用できるようにしています。これらの田は、この地域の歴史からすると比較的新しく、江戸時代に開発されたところが多く、いわゆる新田と呼ばれます。

 見学に行くと、昔の人の工夫や苦労がよくわかると思います。しかし、夏に見学に行くときにマムシなどに注意が必要です。必ず長靴をはいて、大人と行動して下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

【西尾町の駒返の田】

狭い山と山の問の奥から、 手前の道路に向かってつくられています。

用水も奥からひかれ、田に給水でさるようにしてあります。

【洞(ほら) ため池】

用水をたどると、このようなため池が姿を現します。

これがいわゆる洞と呼ばれているものです。